円応寺のご案内
円応寺縁起

円応寺は、建長二年(1250年)に造られた閻魔大王を本尊とするお寺です。建長寺開山大覚禅師の弟子であり、建長寺第九世の知覚禅師が開山(最初の住職)です。閻魔堂、十王堂とも呼ばれ、亡者が冥界において出合う「十王」を祀っています。

円応寺は初め見越嶽(大仏様の近く)にありましたが、鎌倉幕府滅亡後足利尊氏が由比ヶ浜に移築しその後、江戸時代の元禄十六年(1703年)に起きた大地震後に 現在の地に移りました。

本尊の閻魔大王座像(国重要文化財)は、仏師「運慶」作と伝わります。運慶は頓死をして閻魔大王の前に引き出されましたが、閻魔様の 「汝は生前の慳貪心(物惜しみし、欲深いこと)の罪により、地獄に落ちるべきところであるが、もし汝が我が姿を彫像し、その像を見た人々 が悪行を成さず、善縁に趣くのであれば、汝を裟婆に戻してやろう。」といわれ、現世に生き返された運慶が彫刻したと言われています。運慶は生き返った事を喜び、笑いながら彫像したため閻魔様のお顔も笑っているように見えることから、古来「笑い閻魔」と呼ばれています。 又、山賊から守る為赤ちゃんを飲み込んだ事から「子喰い閻魔」その後その赤ちゃんが無事に成長出来た為「子育て閻魔」と呼ばれています。

延命地蔵

延命地蔵

十王

十王


仏教における十王

お釈迦様は死後の世界は説きませんでした。しかし「死」という事実は仏教の出発点でもあります。死への恐怖があるかぎり平安な人生は 送れません。仏教において死への恐怖を解決し、充実した人生を送るために「十王」は存在します。

十王とは、亡者が冥界において出合う十人の王のことです。亡者は冥界において七日ごとに七回、さらに百ヶ日、一周忌、三回忌の合計十 回、それぞれの王の取り調べを受けます。

亡者はまず、初七日の秦広王、二・七日の初江王、三・七日の宋帝王、四・七日の五官王と、生前の罪を取り調べられます。その結果により五 ・七日(三十五日)の閻魔大王が、六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどこに生まれ変わるかを決定します。私達がいま人間として 存在するということは、前生の行ないを閻魔様が判断した結果です。生まれ変わり先が決定した後、六・七日の変成王が場所を、七・七日 (四十九日)の泰山王から男女の性別と寿命を決定します。初七日から四十九日までの間は「中有」または「中陰」といい、この間、亡者はこ の世からあの世へと旅を続けるとされます。

遺族は、百ヶ日の平等王には貪(貪り)の心、一周忌の都市王には瞋(怒り)の心、三回忌の五道転輪王には痴(愚痴)の心を慎しむことを誓 って法要を行う事により、亡者の追善供養となるばかりではなく、御自身の現世における功徳となる善行を積む事ができ、来世の安楽へと つながっています。

お釈迦様は「因果応報説」を説いています。「善因善果、悪因悪果」と言い、「善い行いには必ず善い幸福な果報が得られ、 悪い行いには悪い不幸な結果となる。それは過去世、今世、来世と三世に渡って輪廻転生する。」と説いています。


仏教(閻魔様)の願い

仏教の目的は皆様に「安心」を得て頂くことです。

十三仏信仰においてはお地蔵様と閻魔様は一体のものである。とされています。

命あるものはいつか必ず死を迎えます。人はこの世に生まれ死に至るまで、さまざまな経験をします。同じ人生などありえません。しかし死 は等しくおとずれます。

私達は両親から生まれました。その両親もそれぞれの両親から生まれ、何十代、何百代にもわたる大変な数のご先祖様のお蔭様で、私達は 存在し、生かされています。

私達が毎日食事で頂くお米も菜葉も命あるものです。私達は毎日多くの命を頂き、そのお蔭様で、私達は存在し、生かされています。

私達が存在し、生かされている事実は、宇宙創世の時より一瞬も休むことなく、命の継続(輪廻)が行われていることを意昧します。

全ての存在するものは、存在するということだけで意昧のある感動的な素晴らしいことなのです。私達一人一人が、存在する事に喜びを見 いだし、だからこそ、同じく存在する他の人々の価値を見いだす事が仏教的な生きかたです。しかし、もし私達が存在するために犯した罪が あるとすれば、その罪は閻魔様に懺悔することによって許されます。

仏教(閻魔様)は全ての人を救いたいと願っています。前生で悪業を行い地獄の苦しみを受けている者でも自らの罪を認め心から懺悔すれ ば、閻魔様はお地蔵様に身を変えて地獄の底まで救いに行きます。仏教(閻魔様)は皆様が全ての存在に価値を見いだし、感謝と懺悔のあ る充実した「安心」のある人生を送られる事を願っています。

 

円応寺住職 合掌


懺悔文

私達は毎日の生活において知らず知らずのうちに罪を犯しているのではないでしょうか、なにげない一言が人をキズつけているかも知れま せん。それは私達に貪瞋痴の三毒がそなわっているからです。仏教における懺悔文を以下に示します。

懺悔文

我れ昔、造る所の諸の悪業は、皆はてしなき貪瞋痴に由る。 身口意に従って生ずるところのもの、すべて我れ今みな懺悔し 奉る。 この懺悔文を閻魔大王様の前にて合掌して心静かに三度唱え ると、今まで犯した罪は全て許されます。